観察と傍観のはて

アプリ、プログラム、本、映画、メンタル的なこと、日記などを書いています。

英語を話すことを、諦めたほうが幸せになれるのかも

ミドルウェア脆弱性の調査やOSのエラーを調べているときに
公式ドキュメントが英語で書かれている場合がある。

もちろん日本語で書かれていることもあるが、日本語サイトでは
情報が更新されていなかったりで、原文の英語を読むことが多い。

ただ最近はGoogle翻訳でささっと意味を理解し
詳細を自分で読み込むスタイルが確立してしまっている。

若手だったときは、「エンジニアたるもの英語できないと!」とは思っていたが
意味を理解するというだけであれば上述した方法でなんとか?なっている。

ただぱっと浮かんだ日本語文を英文にしたり
英単語をタイピングする際はからきしだめで、お話にならないレベルである。
FTPから接続を切る際に、頭の中でバイだなっと思って打ったのがbuyだったり。)


もともと学生の頃から英語が苦手で、なんとかしたいと思いながらも勉強が続かず。
(英文を書くと前置詞句の順番が間違っていたり、アプリで発音しても何回やっても通じず。
リスニングも聞こえたとおりに書くと間違っていたり。。。)

まぁ、色々グダグダいっているが、要は英語コンプレックスである。


大学入学後も、社会人1年目と、なにかの節目の度に
「それでは駄目だ」と気合い入れて
ネットで評判の良い参考書を買ったが結局本棚で眠っている。
(解説がないところに疑問が出てきて誰にも聞けず今に至る。)

実力もつかないまま「今年こそは!!」と思いながらも、結局常駐先の忙しさに疲弊して1年が終わる。

何だが英語も含めもう自分には今くらいが限界で
ソフトウエアエンジニアとしては伸びしろがないと見切ったほうが楽なのかなと考えてしまう。

なんだか最近いろいろ意欲がわかなくて困る。