DQN名と言霊
風が春めいてきたと思えば、次の日には、コートの中に首を縮こませて帰る日もあって
季節はなかなか変わらなくて。
気がつけば3月ももうすぐ終わるね。
今年は例年に比べれば、花粉が多くなくて比較的楽です。
そうそう、タイトルの言霊。
言葉に宿る神秘的な力として、言葉が持つ力、そしてその動きと流れを指します。
オカルトな話だけど、ネットで↓の見つけたんよ。
「DQN名の子供って短命じゃない?」
そこで、こう書いてる人がいて少し考えちゃいました。
DQN名 → 読めない名前 → よめない名前 →
よめいないなまえ → 余命ない名前、だからだよ
オカルト&言葉遊びだけど、ちょっと納得したよ。
でも、室町時代だっけ?
そのくらいには、「最近の人達は、子供に変な名前つけるからアカン!!」って
いう書物が見つかってるから昔からこんなもんだろうけどさ。
個人的なあくまで主観的なことを言うとね。
変わったな名前は別にいいと思うんだよね。
その親が考えて、想いがあってつけてるだろうし。
そこは、むしろ誇るべきだと思う。
だけど、それが『ペットの名前の感覚に近いもの』だったり『子どもは自分の所有物』みたいな
響きや感性だけを大事にし過ぎた名前をつけるのがいただけない。
『血を分けた自分の子供だ』って、思ってつけてるのかなぁ。
自分がアルバイト時代に、びっくりしたのは「ティアラちゃん」でした。
10代までは可愛いだろうけど・・・
(妄想中)
「どーも、わたしゃ今年で88歳になるティアラちゃんです。」って言われて
(ニカッ 入れ歯がとれる。拾うティアラ。。。)
「私は、今年で48歳になるナイトです。趣味はフィギュア集めの血糖値高めです。」
(妄想終わり)
どうなんだろうね。
完全に夜露死苦の延長線だよねー(遠い目)
もし自分が光宙(ピカチュウ)なら、恥ずかしすぎて外出られないし。
当て字とかも大概にしろって思うよね。
かと思えば、ありきたりな名前過ぎても、不満がでたりとなかなか難しかったりするけど
1人の人間を育てる意識というか覚悟というか・・・・
いかんね。
歳をとると説教臭くなるわ。
まぁ、何が言いたかったかというと、言葉にはやっぱり力があって
DQN名と呼ばれる名前にはあまり言葉の力が宿ってない気がするわぁーってことです。
(全然、脈絡ないまとめです)
まぁ、未婚の子育てもしたことない男が何言っても全然、説得力ゼロだけどね!
てへぺろ☆
P.S このまえ生まれて初めてキャバクラ行きました。居酒屋→カラオケ のほうが楽しいね。